サッカー(ヴェルディ)以外の日常を綴ります。
http://cycun1944.blog.fc2.com/
--
--.--.--
--:--
 
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 
編集[管理者用] このページのトップへ

 

Tue
2012.07.31
17:19
 
船を編む

玄武書房の社運をかけた新しい辞書『大渡海』は編集作業の最中。
莫大な時間と金がかかる一大事業は、
思うような成果が得られていない。
嘱託の荒木は辞書作りの才能がある若手社員を探していた。
そんな中で白羽の矢が立ったのは、
営業部では変人として扱われていた馬締光也。
個性的な面々の中で辞書の世界に埋没していく馬締。
度重なる困難の中、
果たして『大渡海』は完成するのか。
日本語の奥深さを教えてくれる三浦しをんの小説。
2012年本屋大賞受賞作。


少し前に話題となった作品をようやく読了。
人気作家である三浦しをんらしい読みやすい作品だ。
馬締の下宿先でのほんわかした描写は、
著者の良さが出ているように思う。
主人公の馬締光也は、
文字に対する執念以外は、
何をしても冴えない優男。
髪はボサボサだしいい歳こいて童貞だし。
周りの評価はズバリ変人だ。
しかし文字に対する着眼点は秀逸。
それで周りが見えなくなってしまうだけで、
本当は半野良猫トラさんと、
怪しいインスタント「ヌッポロ一番」を愛するピュアな青年である。
そんな主人公を取り巻く登場人物も個性的だ。
頑固だけど辞書に対する情熱は人一番の荒木。
地味な辞書編集部では異質のチャラさを誇る西岡。
物静かな佐々木さん。
そして辞書の監修者である松本先生。
とりまく仲間はそれぞれ文字を愛し、
そして各々が悩みを抱えながらも本気で辞書の完成の望むメンバーだ。
個人的にはチャラい荒木の存在がお気に入り。
見た目はモサいけれどえも才能豊かな馬締の存在に、
羨望と嫉妬を織り交ぜた感情を抱いている。
普段は明るく人一番気の効く男。
そんな人間の奥に隠された小さな棘が、
実に人間臭く共感を覚える。
西岡が吐露したこんな一文を紹介しよう。

馬締や荒木や松本先生のようなひよは、
西岡のまわりにはこれまでいなかった。
学生時代の友人たちは、
なにかにのめりこむのを、
むしろ敬遠する傾向があった。
西岡も、
がっつく姿勢を見せるのは恰好悪いと思っている。
(中略)
なぜそこまで打ち込めるのか、
謎としか言えない。
見苦しいとさえ思うときがある。
だけどももし仮に、
まじめにとっての辞書にあたるようなものがあったら。
西岡はつい、
そう夢想してしまうのだった。
きっと、
今とはまったく異なる形の世界が目に映るのだろう。
胸苦しいほどの輝きを帯びた世界が。


これ何だか分かるなと思った。
確かに全力で脇目も振らず頑張る姿が、
なんだか青春臭くて恰好悪く思うときはある。
でも実は、
そうやって頑張る人達の事を心のどこかで羨ましがっている。
誰しもが思う節のある事であろう。
だからこそ共感できるかもしれない。


共感出来るといえば、
ストーリーの後半から出てくる岸辺という辞書編集部に異動になった岸辺という若いOL。
「きみは一人で先に進められる人だよ。」と、
男に捨てられたちょっと寂しい今時のOLである。
雑誌の花形部署で仕事をこなし、
周りの評価をある程度得てそれなりにプライドを持つ。
彼女は限られた空間の中で、
ひとつの存在感を持ち生きている。
そういった空気感が男に一人で先を進められると言わせたのだろう。
しかし彼女とて一旦枠から離れてしまうと、
普通の女性。
男に一人で大丈夫だなんて言われる筋合いはないのだ。
慣れない辞書編集部に来て、
岸辺は自らの無知や未熟さを知る。
しかしその一方で、
自分の本当の長所が何かも気づくのである。
慣れて居心地の良い枠から抜け出して、
社会人として女性として成長していく姿は、
個人的に意味深く読ませていただいた。
僕らぐらいの世代の人間にとっては、
思うことがあるのである。



馬締のキャラは一見ダメ男に見えた、
才能豊かなモテキャラ設定という感じか。
実に主人公らしい人間である。
下宿先で知り合った大家のタケおばあさんの孫・香具矢との恋愛話は、
おいおいそんなベタなという展開だ。
正直浅い感じに思えたし、
必要なのかも疑問であった。
個人的にはもっと文字に対する丁寧な描写が欲しかった。
この話の背景は書かれてはいないが字引離れへの危惧の気持ちがあるのだと思う。
様々なツールで文字は知れべられるし活用できる。
電子辞書はもちろんパソコンやスマートフォンなどの台頭により、
アナログの字引より便利に検索できるようになった。
ともすれば字引は時代遅れの不要の産物となりかねない。
僕の様な旧世代の人間にとっては、
これはとても寂しい事である。
字引は現代では不便かもしれないが、
書物として色々な魅力ある。
手で触る質感の他にも連動したストーリー性も楽しい。
本作でも少しだけ触れられているが、
対義語を比較なんかするだけでも、
とても興味深いのが字引の特長と言えよう。
時代に取り残される中、
あえてアナログの辞書制作に挑む人々の物語な故に、
ベタな恋愛事情は失くしてでも、
もっと辞書に対する著者の情熱を注ぎ込んで欲しかった。
まあ読みやすいし全体を通して言えば飽きのこない秀作なのであるが。 
Category * BOOK
Trackback(0) Comment(0) 編集[管理者用] このページのトップへ

 

Fri
2012.07.27
15:23
 
ひまわり事件


郊外の住宅街。
隣接する有料老人ホーム「ひまわり苑」と「ひまわり幼稚園」。
両方とも県会議員の理事長兼、
建設会社社長の磯貝がオーナーだ。
ベタな一族経営の2つの施設の垣根が、
ある日トップ独断で撤廃される。
選挙目当てのパフォーマンで
無理やりに進められた「ひまわり苑・園の一体化」。
その事が偶然にも、
老人・誠次と幼稚園児を結びつけた。
互いに互いの存在を疎み戸惑いながらも、
不思議な時間を共有する。
そしてついにある事件が起こる。
世の中の矛盾に対し、
ただ静観するのではなくどう向き合って行くべきかを、
コミカルに問題提起した人気作。


老人と園児。
その組み合わせは、
多くの人が想像する通りキュンとする。
妻に先立たれ独り余生を「ひまわり苑」で過ごす誠次。
苑には不満もあるが残り少ない人生、
出来るだけ荒波を立てないとうに生けれればと、
なかば諦めていた。
そんな中、
突如実施された苑・園の一体化。
平穏を壊したのは理事長の選挙対策のパフォーマンスだった。
今では園児と老人が敷地内を自由に行き来する。
それを疎ましく思っていた誠次だったが、
落ちこぼれ幼稚園児・晴也と出会った事で状況が変化した。
誠次と晴也は互いに距離を持ちながらも、
ひまわり栽培を通して徐々に親密になっていく。
父を失い祖父母との関係も稀薄な晴也。
小児肥満の秀平。
小ギャル幼稚園児の伊梨亜(いりあ)。
携帯ゲームばかりをやっている和樹。
個性豊かな現代っ子の彼らは、
まるで大人たちのミニチュアの様。
不器用ながらも家庭や幼稚園に不満がある。
それは誠次がホームに抱く不満と根本では同じ様なモノではなかったのだろうか。


小説の後半は、
園児と老人のほのぼのとた触れれあいから一転、
ホーム経営者の不正を摘発する元過激派の老人の事件へと発展する。
組織の暗部に対し徹底抗戦をする男。
それは園児達にとっても誠次にとっても異質な存在であった。
常軌を逸した行動は危険を孕んではいたのだが、
同時に自らの意見を発し続ける姿に、
各々が各々なりの思いを深めていく。
僕は学生運動とは縁の無い世代であるが故、
うはり過激派の老人が叫ぶシュプレヒコールには違和感があった。
それでも現状に甘んじて、
本来是正すべき事をも包み込むように避けてしまう現代の姿勢に対し、
少なからず物足りなさを感じてしまった。
余生を静かに過ごすだけだったはずの誠次にも、
まだ世の中のほとんどを知らない園児達にも、
やはり訴えるべき事はある。
つまるところ自分の意見は、
しっかりと伝えようぜ。
そういう風に言っている様に感じた。


物語は長編小説らしくボリューミー。
荻原浩らしくユーモアでウエットに富んだ文章は十分に楽しめるはずだ。
園児達は自らの過去を思い起こし、
誠次達老人は、
これからの人生を予見させる。
いずれも世代は違えど自らに投影させつつ読んでいた。
思えばそういった別世代の人間と付き合う事も少ない世の中。
彼らが何を思い何に生きているかなんて知る由もない訳である。
しかし考えてみたら当然で、
彼らは彼らなりの生活を営み、
彼らなりの思いの中に生きている。
少子高齢化が叫ばれる世の中で、
世代間の交わりは極めて稀薄だ。
小説では本当の意味でそういった垣根を越えた姿が描かれている。
もちろん急には世代の垣根なんて越えられない。
自分の意見をぶつける環境なんてないかもしれない。
それでも忘れてはいけない大切な事。
老人や子供達の訴えが、
僕の心に深く刻まれた。
この小説は意見を持たない僕らへの警鐘に違いない。 
Category * BOOK
Trackback(0) Comment(0) 編集[管理者用] このページのトップへ

 

Mon
2012.07.16
15:18
 
海炭市叙景

北海道の地方都市を舞台に綴られる短編連作。
海と山に囲まれた架空の都市「海炭市」。
そこに暮らす人々の様々な人間模様を丁寧書き記した作品。
多くの仕事を通して、
不器用にも行き抜こうとする人々の姿を鮮明に映し出している。
若くして命を自ら落とした佐藤泰志の遺作にして傑作。
すでに映画化もされた話題作だ。


まず最初に驚いた事。
本作が遺作とは知っていたが、
実はまだ未完の作品であったのだ。
つまり生きていれば続きがあったという事。
構想ではまだ半分ぐらいしか書き上げていなかったらしい。
心持半ばで終ってしまった作品。
これをどう解釈するかは非常に難しい様にも思う。
読んでみれば分かるが、
確かに読後感は通常とそれとは異なり、
大きな含みを感じるであろう。
一見すると関わりのない短編が、
最終的に結びつくのであればその過程を読みたかった。
もちろんそれを裏切るだけの偉大な作家でもあるのだけれど。
とにかく作者しかしりえない物語の結末を読めなかったのは、
やはりとても残念だ。
しかしそれでも作品は非常に生々しく、
佐藤泰志が生きた証が確かに詰っている。
彼が描きたかった海炭市。
おそらくは彼の故郷である函館。
その風景は決して色褪せてはいない。


あとがきにも書かれている事であるが、
本作では故郷と仕事。
この2つの要素が色濃い。
孫が出産間近の市電運転手、
空港で働く都市に憧れを持つ少女、
故郷に舞い戻った妻子に、
父親の家業を継いだ燃料店の男。
バブル(作品の中の時代背景)とは無縁の人々が、
北海道の地方都市という活況ない場所で懸命に生きる。
まるで現代の地方過疎化を予見するような、
生きる事の厳しさを感じざるを得ない。
炭鉱業は衰退し観光でしか発展を見い出せなくなってしまった都市。
そんな寂れゆく街の風景をドライに書く事で、
佐藤自身も故郷の先々を憂いでたのかもしれない。
それでも仕事に就き、
必死に行く抜く事が人の生きる道だと説いているようだ。


僕は仕事に関してそこまでの想いはないのだが、
生きて行く過程で避けては通れない事なんだとは強く思った。
しかしそういった事だけでなく、
ただ単純に佐藤泰志という作家の放つ独特の優しさが僕は好きである。
時に冷たく表現される人間関係。
荘厳な自然と汚い人間の欲望。
そしてそれをも包み込む人の温もりや柔らかさ。
僕は死後になってから彼の作品と出会ったタイプ。
死んだ人間と分かりながら読んでいるからこそ、
彼のそこはかとない優しい文章に惹かれてしまうのかもしれない。
未完の傑作。
冷たい海炭市の風景は、
著者の力によって温かく生まれ変わった。 
Category * BOOK
Trackback(0) Comment(0) 編集[管理者用] このページのトップへ

 

Wed
2012.07.04
17:45
 
黒烏龍茶


広告で飯を食っている立場上、
その表現には細心の注意を払っている。
初校・再校・色校といった社内校正はもちろん、
メーカー校正も徹底させている。
新聞出稿であれば、
厳しさに差はあれど媒体社の校閲も加わる。
何重もの監視を経て、
不当表示・優良誤認のない広告物となる様に努力している。
社内的にも個人的にも、
法令に遵守した制作姿勢を、
徹底しているつもりだ。
なんせ無店舗販売の通販は、
言葉のみがエンドユーザーと繋がる術である。
対面販売以上に真摯になるべきだし、
言葉でお客様を欺く事は絶対にあってはならない。
それが故意でないにせよ。


その上で、
疑問に感じざるを得ない事がある。
我が国における広告審査は果たして妥当なのか!?
先日消費者庁がサントリー食品インターナショナルに対して、
ある改善要望書を送った。
当該商品は、
特定保健用食品「黒烏龍茶」。
指摘された媒体は主に波の広告と思われる。
改善要望の内容は、
アニメの主人公が「脂肪にドーン」とひとさし指を突き出す場面と、
「食べながら脂肪対策」というテロップ。
偏った食生活を助長する恐れがあり不適切と指摘を受けたのだ。
乱暴な解釈をすれば、
これを飲めばジャンクフードを食べても問題ないと誤解するという事。
この部分が一種の優良誤認の広告とされたのだ。
ちなみに黒烏龍茶は所謂トクホ。
消費者庁から健康の維持や促進に効果が認められている飲料である。
具体的には、
食後の血中脂質の上昇を抑えるという表現が認可されている様だ。
今回の騒動は、
許可された表現の範囲を逸脱しているかが争点である。
さてあのCMの表現は、
トクホの枠を超えているのか否か…?


その答えは残念ながらハッキリしている。
消費者庁が言うなら妥当。
サントリー側に反論の余地は現実問題ほとんどないはずである。
恐らくもうすぐCM自体見ることはなくなるであろう。
客観的な事実の虚偽でない場合、
つまり前後から推測される状況から、
実際に優れているのと感じるか否かといった感覚には、
残念ながら明確な尺度は存在しない。
消費者が読んで勘違いをしてしまった時点で、
ともすれば優良誤認に該当してしまうのである。
つまりは受け手の感覚次第で、
不当な広告になってしまうという訳。
当然、
それでは人によってバイアスが生じる。
そして誤差があるからこそ、
公的機関が代表して審査しているのだ。
民間がやれば、
絶対に不公平感が生じる。
国がジャッジすればある程度はフェアになるのだろう。
よって、
その制度自体には異論はない。
ただ広告主として表現の可否を任せている以上、
納得出来るような裁定をして欲しいのだ。
今回最も言いたいのは、
その一言に限る。


個人的な見解では、
黒烏龍茶のCMが、
偏った食生活を助長するとは思えない。
偏った食事を好む人に対して、
是正を脅迫している様には感じたが、
偏った食事を食べてもOKとまでは感じられなかったからだ。
明確な根拠はなく率直に感じた印象ではあるが…。
だからハッキリ言って、
僕の中ではセーフの広告表現。
サントリーには、
同情の念を禁じ得ない。


そもそも広告というのは、
商品やサービス・存在を、
受け手に評価してもらう手段である。
限られたスペースで、
これこれはこんなに優れていると、
必死に知恵を絞って伝えるからこそ、
有益なツールになるのだ。
その熱意は時に人々を魅力する。
文化の範疇に広告が位置づけられるのは、
そういった側面があるからだろう。
もちろん事実でない事は謳ってはいけないが、
法令順守の枠の中で、
気持ちを込めて完成したクリエイティブは、
絶対に守られるべきだと思う。
それは広告自体の存在意義に関わる、
非常に重要な事ではないだろうか。
つまり何が言いたいかと言えば、
現代の広告業界は、
消費者を守る表現規制のみが過剰に厳格化され、
広告で認めらるべき表現の自由が阻害されていると感じているのだ。
まるでレバ刺しの規制の様ではないか。
後から問題にならぬよう、
本来規制されるべきブラックな広告の枠よりも、
かなり大幅に…、
グレーを超えてシロの広告まで規制してしまっているのだ。


実際に広告の現場に携わる人間として、
極めて理不尽な審査を受ける場合がある。
これは公民問わず。
だいたい国家機関や媒体者の指導は、
こちら側の主張は受け入れられない。
目をつけられたら、
それはもう諦めるしかないのだ。
ただ納得いかないモノは納得出来ない。
特に腹立たしいのは、
審査基準が消費者保護という観点ではない場合。
前述のレバ刺しに例えた通りだ。
審査する人間が、
ラクするための判断基準が多すぎるとも思う。
例えばの話。
画一的に使用前・使用後の写真を禁ずる媒体がある。
これには以前より虚偽の写真が使われる事が多発したり、
健食や美容用品の様に使用する個人によって差が生じてしまうという問題が背景にある。
がしかし、
それに当てはまらない商材もある。
ウチの会社では薄毛を隠す粉末があるのだが、
そんなモノは黒い粉を頭皮に振りかけているだけ。
まさに客観的事実だ。
嘘はないし健食のように個人差もない。
それでも他と同様に使用前・使用後の表現は許されない。
なぜなら使用前・使用後はすべてNGだから。
コピーの表現にも露骨なケースがある。
最上級表示は基本的に駄目なのであるが、
それに付随して「高」の表現にも規制がかかった。
高品質や高性能、
あるいは高音質など。
高という漢字が含まれたワードは全部駄目。
高品質や高音質が、
優良誤認をさせる言葉に聞こえるだろうか!?
僕はそれが優良誤認と感じてしまう感性こそ疑ってしまう。
さらに高性能を良性能、
高品質を良品質と勝手にアカを入れてくる媒体もある。
そんな変な日本語を使うほうが、
よっぽど消費者を惑わしていないだろうか。


僕は強く思う。
自分達のリスク回避ばかりの広告規制は、
我が国の広告の質を落し続ける。
昭和時代は多くの素晴らしいコピーライターやデザイナーがいた。
海外の広告賞も獲得してきた。
そんな素晴らしい日本の広告が、
自らのショボイ審査で衰退してしまうのが悔しい。
黒烏龍茶はあくまで一例だ。
今一度良い広告と何かを考えて欲しい。
消費庁も公正取引委員会も市の衛生課も、
テレビ局も新聞社も広告代理店も、
もちろん受け手も作り手も。
今のままでは発展はないと思う。
僕は素敵な広告がたくさんある世の中を望んでいる。 
Category * 小話
Trackback(0) Comment(0) 編集[管理者用] このページのトップへ

 

Sun
2012.06.24
13:21
 
4048866583.jpg


人気シリーズ3作目。
鎌倉に古くから構えるビブリア古書堂。
そこで働く美人店主・篠川栞子とアルバイトの五浦大輔。
彼らの元に訪れる人達の人間模様と、
古本の持つ不思議な魅力が詰った作品。
3作目では失踪した栞子の実の母についても事態の進展が!?
栞子と大輔の淡い恋の行方も気になる作品である。


最初にバラしてしまうと、
まだ本シリーズは続くようだ。
だからこれで完結ではない。
なかなか引っ張るな。
もうそろそろ終わらせたらどうだろうと思うのは自分だけであろうか!?
今回は導入部分を除き、
大きく3つのエピソードからなる。
もちろんどれも古本からなる話である。
そして随所に栞子の観察眼が光るのも期待を裏切らない。
美しくて知的なながらも、
いまいち抜けいている栞子。
唯一人が変わるのは本について語る時である。
本にまつわる事柄についての洞察力は半端ではない。
それ以外に関しては、
とてもでないが奥手もいい所なのだが…。
そんな不思議な女性に密かに惹かれている五浦であるのだが、
今回も進展はゆっくりだ。
ゆっくりながらもおっという場面も。
今回は2人でお酒を飲みに行く。
彼女がお酒を呑むのも意外だはあるのであるが、
その呑みっぷりもまた注目して欲しい。
個人的にはNo.1萌えポイントであった(笑)。


さて今回のエピソードで目立ったテーマは、
ギクシャクした家族の絆。
タイトルの消えない絆は、
たぶんそれを意識しているのであろう。
例えば親から反対をされながらも結婚した娘の感情。
例えば遺産相続で揉め仲が悪くなってしまった兄弟。
身近にありそうな家庭内の歪が描かれている。
理由は千差万別だ。
お金だったり環境だったり…。
ただそうであっても家族の絆は消えないのだぞっていう話である。
表面上はお互い突っ張っていても、
実は本音では家族を思う気持ちは消えない。。。
思わず仰け反ってしまうような素直なお話。
僕のような汚れてしまった人間には大よそ似合わない話だ。
それでもこのシリーズを通して嬉しく読んでいるのは、
全編を通して変わらない読みやすさと、
さらには本を読みたくなるような空気感がある事だ。


本というのは何も名作ばかりを読むのが良しとは限らない。
時には下らない本を読んでも構わないし、
あるいは大好きなあの娘が読んだ本を便乗して読むのも吝かではないだろう。
なんだかベタだし人気先行な感じもする本書だけれども、
一貫して本を身近に感じられる部分は、
何だかとても素敵だと思っている。
そして結局次回作も買って読んでしまうのだろう。
結局は作者が一番策士なのかもしれない。 
Category * BOOK
Trackback(1) Comment(0) 編集[管理者用] このページのトップへ

 

 
Copyright © 2017 新きっと鴨はシャイ, all rights reserved.
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。