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サッカー(ヴェルディ)以外の日常を綴ります。
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Fri
2012.08.17
16:34
 
サッカー審判員 フェルティヒの嘆き


ドイツ文学界をリードするトーマス・ブルスィヒによるサッカー小説。
ブンデスリーグで主審を務める主人公。
審判には、
ピッチ上のみで与えられる限定的な神の特権がある。
マスメディアや世論、
そしてサポーターによって失われた大切なモノとは。
1人の審判を通して語られる不条理なルールとは。
かのドイツ首相メルケル氏も話題にしたベストセラー。


まず単なるサッカー小説と思って読み始めると驚くかもしれない。
著者自らの言葉をなぞると、
サッカーは表現のための小道具であってテーマでない。
サッカーを通じて社会的テーマへの関心を巧みに喚起しているのが特徴だ。
ときおり難解な文章もあるし、
サッカーの興奮が詰まった内容でないのは事前に理解しても良いかと思う。
本書ではサッカーの審判というピッチ上の神の裏にある、
審判ならではのリスクを示す事で、
社会的責任は何かを問う。
サッカーの審判ほどに“間違い”に対してのリスクを伴う職業はないように思う。
例えば医師の様に一歩間違えば死に直結してしまう間違いよりも、
メディアや世論はサッカー審判の過ちを、
さも重罪の様に扱うのである。
サッカーというある意味どうでもいい事に関しての責任と、
人の心臓を止める選択権を持つ医師の責任。
2つに間にあるナンセンスな責任と保証をシニカルな笑いを交えて糾弾する過程は読みごたえ十分だ。


それとは別に現代サッカーを審判の視点から考察する記述は、
サッカーファンとしては興味深くもあった。
いくつかを抜粋したので一緒に考えたい。


サッカー審判は誰でも、
一本の「線」でもって試合を導いていかなくちゃならない。
そしてこの線を、
立会い人にも示す事ができなくちゃならない。
一番悪いのは、
この線を見出せないことだ。



審判はある一定に基準を設けるべきだと説いている。
試合を裁く上で、
ここから先がファールなんだよと選手に示す事が重要という訳だ。
そういった基準を選手が理解することで円滑な試合進行が出来ると主張している。
これは確かに有能な審判に程明確な場合が多く。
国際大会の審判ともなると、
その基準は見ている僕らにでも分かる。
逆に未熟な審判は基準が曖昧でアンフェアな印象を選手に与えている。
それが選手の不信を買い、
結果的に試合が荒れることもしばしばだ。
公平に試合を裁くのには基準が必要なのだ。


あのベルギーの連中以来、
ルールが試合をコントロールすることはなくなってしまったんだ。
あのベルギー・チーム以来、
ルールは試合に引きずり込まれ、
解釈し直され、
利用され尽くした。
サッカーでは、
ルールを「プレー」するようになったのだ。
(中略)
一方のプレーヤーが相手に反則を犯させようとして、
他方がそれを防ごうとすると、
それは「演出」の問題になる。
そうなると、
スポーツの問題が、
演劇の問題になってくるわけだ。
そして「いや、やっていない!」という芝居だ。
(中略)
そろっと触れられただけでも、
まるでこっぴどく殴りつけられて、
暴行を受けたかのように、
もんどりうって地面に倒れる。
一方で、
相手チームの選手を蹴飛ばしてプレーできなくしても、
知らんぷりをする。
こっちの選手が大げさに作り話をすれば、
あっちの選手は事実を隠し、
「そんなことしてない」という。



僕はこの言葉以上にサッカーの本質を捉えた表現を読んだ事がなかった。
まさに現代サッカーはルールをプレーしている。
ベルギーの連中についてだが、
彼らはオフサイドトラップという作戦を最初に行ったチームの事だ。
本来ならばオフサイドとは、
FWが相手ゴール前に張り付いて離れないという事態を防ぐルールである。
しかしながらオフサイドトラップは、
そんなルールを逆手にとって相手選手を欺くことてフリーキックを得る作戦だ。
つまりルールを利用して自分らが有利になるようにしていると言える。


ルールはルールであるので、
その延長線上で絶対的に試合は推移する。
だからこそサッカーのルールを熟知した上で、
それを如何なく利用しているのだ。
ファールをもらう動きはその際たるもので、
ファールを貰うためにファールを演出しているは、
見ようによっては滑稽にも写るであろう。
そうなるとそれはもはや本来のスポーツの体を失っている様に思えてくる。
実際に本書の中でも、
サッカーはスポーツとしての基準を失ったとも書かれているのだ。
しかしそういった選手がルールを利用して欺く行為、
あるいは基準を設けた上で神として試合を裁く主審が時折みせる非常に人間的な間違い。
そういった部分を含めて僕らはサッカーを理解している。
サッカーの持つ不確実性が試合に皮肉にも面白さを加えているからだ。
本書は単にスポーツとしてだけではない、
サッカーの多角的な魅力を考察できる貴重な1冊でもある。
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