サッカー(ヴェルディ)以外の日常を綴ります。
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Sat
2012.05.12
21:00
 



これから長々と綴る駄文は、
すべて村上春樹氏の『走ることについて語るときに僕の語ること』を読み終えて、
自分なり走る事を考えた文章である。
普段の書評とは異なるが、
あくまでしみったれたランナー村上春樹のしわざであるのは、
覚えておいて頂きたい。


僕は今走っている。
やたらめったら公言しているので、
もう知っているよと言われるかもしれないが、
だいたい1年くらい前から走っている。
ここ数週間に限って言えば、
目前のレースに向けて走っている。
三浦しをんの小説に鼓舞されて走っているし、
村上春樹のメモアールに触発されてもやはり走っている。
なぜ走っているかと問われても上手くは説明できないが、
きっとたぶん走りたいから走っている。


走る事で何かを見出せるならばと僕は思う。
だけれども実際は走るという行為は、
僕に何かを授けてくれる事はない様だ。
朝早く走って朝露の匂いを嗅いだり、
夜半に走って暗がりに怯えたり。
ふと目に留まるモノはあるけれど、
各々に意味はない。
ただ風景として存在するのみである。
何だかそっけなく聞こえるけれど、
僕はまるで取り憑かれた様に、
脆弱な二本の脚を繰り返し前に押し出すだけだ。


今日は定番の玉川上水を走った。
家から三鷹駅を往復すると約10㎞。
信号も少なく車の往来もあまりない静かなコースで気に入っている。
時折ある土の路面も刺激があって好きだ。
だいたいルートの性質は頭に入っているから、
その日の自分の調子を測るのにも活用出来る。
どうやらゴールデンウイークで走り込んでいるわりには、
脚の状態も良好のようだ。
気づけば、
もう5月になった。
少し前まで僕を愉しませてくれた川沿い桜も散り、
新緑は日増しに緑を増しているのが分かる。
厳しくなった日差しを避けるように、
自然と心は木陰の方へと向くのも致し方ないだろう。
なんだか、
この暑さが懐かしい。
僕がランニングを始めたのは、
夏の手前6月だった。
その日も暑かったと記憶している。
あれから、
もうすぐ1年が経つ。
1年というのは長いようで短く、
それでいてやはり長い。


今の僕の練習での平均的なペースは、
1kmあたり5分10秒程度。
10000mのレースであれば4分30秒で走る。
ネットで45分のタイムだ。
ちなみに、
自分を卑下するでもなく客観的に評価して、
これは素人のジョガーにとって、
平凡かそれ以下の記録と言える。
しかし、
知って欲しい。
1年前の僕は、
10000mを辛うじて1時間切るぐらいにしか走れなかった。
半年で10分は速くなったのだ。
一応。


ところがどっこい。
これは僕にランナーとしての才がある訳ではない事も、
同時に認めなければならないだろう。
誰しも真面目なランナー(不真面目では駄目だ。)なら、
始めた当初は走る度にタイムが縮んでいく実感が持てるはずだ。
ランニングは、
走り続けた日数に比例してスキルアップする。
それにタイムと相関して距離も伸びる。
僕も当初は5km走れば満足だったのが、
今では10km.15km.20kmと走っても苦でなくなった。
自分の実力が、
良くも悪くも手に取る様に分かるのだ。
“自らの能力をセルフジャッジしやすい。”
これは多くのスポーツと比べても、
ランニングが顕著であるのは間違いないだろう。


僕の現状のレベルは、
ハーフマラソンという段階にある。
そして約1年という短い期間ながら、
振り返ると思うのだ。
今の僕は、
多くの部分であの時と違う僕だと。
もちろん全く変わったとは言わない。
ある程度だ。
分かりやすく例を挙げよう。
食生活を気にしたり(お酒は今も飲むが)、
数日走らないと気持ち悪くなる自分を、
1年前に僕は想像出来ない。
朝の5時に起きて仕事前に10km走る僕を、
1年前に僕は信じられない。
僕にも知らない僕がいて、
ランニングはそれを教えてくれたのだ。


話は振り出しに戻るが、
ランニングが僕に精神的な何かをもたらした事はない。
白状すれば僕は密かに期待していた。
走る事で人として成長し、
素敵な大人になった自分を。
だけど残念ながら、
精神的な成長は今のところ見つけることが出来ない。
それでもランニングというスポーツに限っては、
少しだけマシになった自分を知る事が出来た。
走るスピードも距離もマシになった。
それを自覚している。
そして今僕は、
ランニングに健康になる以外の何かしらの有益性を持たせるべく、
ランニング流の自己評価法を試みているのだ。
なんだか厄介だけれども、
たぶん必要なのだと信じて。
何もせず漠然と毎日を過ごしていると、
自分自身の今を知る事はない。
というか知ろうとしない。
ランニングには何の意味もないけれど、
『僕って今どうよ?』と考えさせてくれたのだ。
あえて言うならば。


では、
僕の今はどうなのだろう。
まずはジョガーとしての僕。
ハーフマラソンの目標タイムは、
1時間50分を切る事だ。
これは僕の今の貧弱な脚には、
適当な目標であるはずである。
適度に困難だけれども、
全く無理とまでは言えない具合だ。
そうなんだ。
ジョガーとしての自分自身は、
体が答えてくれるから分かりやすい。
一方で私生活における問題となると、
途端に難しくなってしまう。
当たり前だけど。
だから自問する。
人生において今の自分は、
どのくらいの位置にいるのであろうか?
5km地点か?
20km地点か?
まさかそれ以上ではあるまい。
レースでは、
数えきれないランナーを抜くし、
それ以上のランナーに抜かれる。
きっと日々生きている中でも、
多くの人達と抜きつ抜かれつを繰り返していくのだろう。
ただどれくらい??
正直分からない。
ネガティブになってしまうと、
ただただ生きる事が苦しくなってしまいそうだ。
走るのも勿論苦しい。
でも残りがあと何kmか分かるぶん、
マシかもしれない。
人生は、
あとどれくらい残されているかは分からないから、
輪をかけて苦しく感じる。
そうだ。
そうに違いない。


ランニングを通して自分を見つめ直したけれど、
やっぱり分からなかった。
僕は人生の過渡期にいるのか、
それはもっと先なのか。
大きな決断を迫られている様にも、
実は何も変わらない様にも感じられる。
いずれにせよ苦しい。
分かったのはそれだけだ。
苦しいと言えば村上春樹は、
マラソンと生きる事を、
こう関連付けている。

『「苦しい」というのは、
こういうスポーツにとっては前提条件みたいなものである。
もし苦痛というものがそこに関与しなかったら、
いったい誰がわざわざトライアスロンやらフル・マラソンなんていう、
手間と時間のかかるスポーツに挑むだろう?
苦しいからこそ、
その苦しさを通過していくことをあえて求めるからこそ、
自分が生きているという確かな実感を、
少なくともその一端を、
僕らはその過程に見いだすことができるのだ。』


走る事によって自己認識を深め、
人生とランに共通する苦しさを見いだす。
これが今回の小説を読んだ上で、
自分が辿り着いた答えだ。
結局は、
何も分かってはいないのだけど。。。
ただ苦しいのは当然と腹をくくって、
ラン同様に前への歩を進めるしかない。
ジョガーとしての自分を知るようには上手くいかずとも、
生きていく上で自分を知ろうと努力するのは有益だ。
そして最後に。
人してジョガーとして心がけたいと思う。
この先、
どれだけ苦しい道が続くかは分からないが、
自分が今まで走ってきた道を忘れてはならないと。
過ぎ去るせよ、
折り返し戻って来るにせよ…だ。


ハーフマラソンのレースは来週の土曜日。
果たして記録更新は成し得るか。
そして走ったその先に何が待っているのだろう。
何はともあれだ。
Have a good time!
良いレースにしよう!
そう心に決めている。
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