サッカー(ヴェルディ)以外の日常を綴ります。
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Sat
2012.05.05
16:44
 
サッカーが消える日

舞台は2030年の近未来。
世界が度重なる不祥事に伴いサッカーを禁止して20年が経っていた。
みながサッカーの熱狂を忘れかけてきた中、
スポーツジャーナリストであるアレッサンドロは、
一流スポーツ紙クロナケ・スポルティーヴェに、
サッカー禁止20周年を記念した特集を任される。
過去サッカーに携わった多くの人間と接する事で、
次第にアレの中でサッカーに対する渇望が芽生えていく。
古くはブラジルの英雄ガリンシャ、
さらにはカンナバーロやサネッティなど実在する選手を交えながら、
なぜサッカーが破滅の道に至ったか、
そして本当にサッカーは必要なのかを、
現代サッカーに警鐘を鳴らしながら検証した作品。


まず本書を小説と呼ぶのが適切かは疑問に思う。
確かに舞台はサッカーが禁止された2030年という、
極めて架空の世界である。
つまりフィクション。
しかしそうでありながら扱われる内容は、
ほとんどが事実に基づいたノンフィクションだ。
例えばブラジルで国民の歓喜と評されたガリンシャの数奇な人生を辿ることで、
サッカーがもたらす光と影を映し出す。
カンナバーロやガットゥーゾのチャリティー活動や、
ネドヴェドのイデオロギーを超えた才能を紹介する。
さらにはナチス政権下で行われた伝説の試合、
ドイツVSウクライナの悲劇を取りあげている。
こういった具合にエピソードの数々は極めてリアルであり、
ちょっとしたサッカーの歴史とも言えるのだ。
小説として期待してたならば、
それは肩透かしにあう事間違いなしなのである。
しかし個人的にはサッカーを愛する人間として、
それぞれのエピソードを興味深く読んだ。
政治や宗教がサッカーと深く結びつく事で起こった悲劇。
前述したドイツVSウクライナの話は衝撃的だ。
ウクライナといってもナチス政権下で逃げ続けていたディナモキエフの選手達。
彼らが自らの命を絶ってでも貫いたサッカーへの情熱は、
とりわけ心を揺さぶるものであったし、
この事実を僕等サッカーファンは胸に刻み続けなくてはならないと感じた。


本書で筆者が伝えたい事は、
現代サッカーの過度な商業主義、
繰り返される不祥事や暴力沙汰に対して、
彼自身が感じている危機感なのであろう。
特にイタリアサッカーの凋落ぶりは、
遠く日本からでも顕著だ。
ユヴェントスのセリエB降格措置という、
前代未聞の事態を生んだ八百長騒動や、
フーリガンによる治安悪化。
サッカー好きなイタリア人として、
我慢が出来ないのは仕方が無いだろう。
私が幼少期だった頃のセリエAは、
絶対に世界最高のリーグであったし、
プレーも選手も誠に華やかであった。
極端に言ってしまえば、
本書はイタリアサッカーへの嘆きとも捉えられるかもしれない。


そういったイタリア人的な悲壮感に比べれば、
訳者も語っているが日本のサッカーは恵まれていると言える。
カルチョの国よりサッカー後進国の日本が恵まれているなんて信じ難いが、
それが現実であると思う。
著者は一度Jリーグを観て欲しい。
確かに経済的に困窮したクラブも多く、
リーグ全体の改善点も見えるかもしれない。
しかし安全に情熱的にサッカーを愛しむ空間が、
日本のリーグには存在する。
週末の試合には地元の家族がやってきてサッカー観戦を楽しんでいる。
アウェイチームにも敬意を払い、
試合後も安全に帰れる。
物語でイタリアの伝説的ストライカー・ジジ・リーバの言葉が印象深い。

「かつてサッカーには“感動の空間”がありました。
そのことを理解していた人は、
決してお金のことばかりを考えませんでした。
彼らにとって大切なものは、
“ユニホームであり、町であり、サポーター”
だったのです。」


Jリーグには、
彼の言う大切なものが残っているのかもしれない。
これは僕らの誇りだ。
サッカーを禁止なんかにする前に、
もっと僕らの国を知って欲しい。
僕らのサッカーに対する想いを。
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