サッカー(ヴェルディ)以外の日常を綴ります。
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Sun
2012.04.29
19:57
 
宵山万華鏡


宵山は妖しく眩い幻想の世界。
私と姉は、
バレエの先生の忠告を無視して、
魅惑の宵山の世界へ足を踏みこんだ。
現実と妄想が入り乱れ次第に宵山の奥へと迷い込む。
宵山様とは?
超金魚とは?
赤い浴衣を着た少女は、
皆を何処へ誘うのか?
6つの短編を通して、
宵山に秘めらた謎が、
混沌と語られる。
京都作家として有名な森見登美彦流の、
サイコな妄想小説。

久しぶりに森見登美彦作品を読んだ。
どちらかと言えば、
きつねのはなしに通づる、
怪談的な要素が含まれた作品だ。
京都ならではの風情を活かしつつも、
見事に宵山を奇怪な世界感に変えてしまった。
同氏らしいテクニックが、
それを作りだしているのだろう。
得意のリフレイン・プレイヤーを意識したと思われる手法は、
宵山の何とも怪しげな世界観に、
より深みをもたらした様に思う。
さらに、
本作は6つのショートストーリーで構成されているのだが、
そのひとつひとつは、
独立している様にも深く繋がっている様にも読み取れる。
これも森見ファンにはお馴染みであるのだが、
今回は作者自身が夢想する宵山という世界観が固定した中で描かれている故、
より完成された長編小説に仕上がっている。


では登美彦氏が考える宵山とは、
一体なんだったのだろうか。
つらつらと語られる宵山には、
いくつかのキーワードが点在する。
特に赤い浴衣を着た金魚を思わせる少女は、
どのエピソードでも登場するのであるが、
では彼女達が何者なのかという事に関しては、
読者の想像力に頼る部分があったりする。
各ストーリーを微妙にリンクするエピソードや人物には、
いったいどの様な意味があるのだろうか。
考えるに、
ズバリ意味などないのではないか。
乙川という登場人物は、
藤田の問いかけに対して、
こんな事を言っていた。

「一つ聞きたいんだけれども、
こんな事をして何の意味があんの?」
「よくぞ訊いてくれた。
意味はないね、
まったく。」
乙川は嬉しそうに笑った。
「でも頭の天窓が開いたろう?」


これは森見作品のテーマであるとも個人的には思っている。
何もない事や意味のない事にこそ意味がある。
人って意味ばかりを追ってしまうけど、
ではその先に何があるのか?
そんなに世の中カクカクしているのか?
…っていう訓示ではないかと、
自分は勝手に受け止めている。
まぁ恐らくそんな意味はないのだろうが。


最後に。
ネタばれになるから、
あまり詳しくは書けないが、
宵山に取り憑かれた人達は、
それぞれの方法で宵山の終わりを見つけていった。
宵山の果てに見つかったのは、
例えば過去についての踏ん切りだったり、
自分でも気づかなかった気持ちだったり様々だ。
これって誰にでも起こりうる事で、
つまりは誰しも森見的宵山に迷い込む可能性はあるのだ。
という事で、
今一度注意してみよう。
朝起きて今日が宵山だったのなら。
気づかぬうち宵山から抜け出せなくなる前に…。 
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Wed
2012.04.25
09:28
 
会えなかった人

旗笙子。
約束の日に恋人の真崎を待つ。
自宅の窓からは取り取りの色をした火花が爆ぜる。
真崎のために作られた野菜達は、
食されるべき主を失い、
ただそこにいる。
真崎は、
あの電話に、
園井の背中に惑わされている。
近くで拾い持ってきたトチの実は、
ブラックコーヒーの様に黒い。
なぜ
笙子は会えなかったのか。
なぜ
真崎は会わなかったのか。
ひとりの男とふたりの女が紡ぐ、
儚く残酷で美しい人間模様。
第27回太宰治賞受賞作。
三鷹の風景をファンシーに書いた短編、
『ミタカさんとの散歩』も収録。


まず非常に読みにくい小説だ。
純文学的な文体はさることながら、
まるで骨抜きにされたストーリーに、
途惑う人も多いだろう。
こればかりは相性もある。
本の評価以前に、
文章の在り方を受け入れる事が出来なくとも、
納得してしまうような作品だ。


物語のベースは、
旗笙子というヒロインが、
恋人である真崎に、
なぜ会えなかったという事に向けられている。
そして会えなかったというのは、
花火大会を笙子の自宅で一緒に観る事が叶わなかったのを指す。
花火がよく拝める部屋で、
笙子の作った家庭菜園の野菜を食す約束をしたのだが、
その約束を真崎が破ってしまう。
そう考えると、
なんだかありがちなシチュエーションに感じてくるかもしれない。
にも関わらず不自然な雰囲気は、
たぶん読者全員が感ずるだろう。
それこそ本作の個性である。


まず不思議なのは、
恋人なはずの笙子と真崎の会話が、
全編を通して敬語で語られている事だ。
長い年月を共にし、
なおかつ進展を窺わせる関係ながら、
まるで仕事先の相手に話すような口ぶりなのは、
真に不自然である。
さらには笙子の友人である園井なる人物。
背中に火傷の傷を持つ女性は、
怪しげに真崎の心を刺激する。
彼女は誰なのか。
まさに謎の中で、
徐々に存在感を増していくのが不気味だった。
そういった会話の不自然さや、
新たな女性像という不安が、
物語を埋め尽くしている様に感じた。
物語の中盤になると、
笙子なトチの実に魅力される。
真崎は、
祭の日に出会った(実際は遭遇していない)、
謎の客に怯える。
そして共通のキーワードとして、
ある事が浮かび上がってくるのだ。


そのキーワードが意味するのは何であるか。
自分なりの解釈は、
存在の不安定性、
あるいは変動性である。
存在と言うのは、
字面が表している様に、
そこに在るのが前提だ。
恋人や家族。
日々当たり前に過ごす中で、
当たり前にいる存在だろう。
しかしそういう存在だからこそ、
心も体も傍にいるのが当然すぎて、
その人を失うきっかけを見落としてはいないだろうか?
そんな見えない不安を、
小説は書いている様に思う。
人間関係の歪みっていうのかな。
それとも恋人通しのすれ違いか。
気づいた時には、
もう遅かったみたいな経験は、
誰しもがお持ちだろう。
そういった心の変化こそ、
実は人間らしいのだと感じた。


小説は、
どこか鼻につくぐらいに純文学の色合いが強い。
言葉を追うだけでは足りず、
読んで考えるという作業が必要だ。
真崎が口走った言葉に、
『何でもいいもの-しかし、そうでなくてはならないもの』
という一文がある。
読者によって捉え方は異なるだろう。
ただ本を読みながら、
それが何かを夢想していたのなら、
きっとこの小説の良さを噛み締めているに違いない。
ちなみにであるが真崎は園井に、
恋人である笙子について以下の様に表現した。
『のんびりと、ゆっくりと、そして、きままに。何とも離れられないといったかのように、ですね。どうもその周りをぐるぐると回り続けているのですよ。眺めながら、眺めさせられながら、たぶん眺められながら』
併せてどう感じるだろう?
ちなみに園井は、
悠長と笑った。
読んで考えていくうちに、
もしかしたら小説の色合いが見えてくるかもしれない。
そうやって読み終えた人だけが、
ふと装丁を眺めてニヤリとさせられるだろう。
う~ん。
なんだか罪な小説だ。 
Category * 未分類
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Sat
2012.04.14
10:15
 


東京・下町の古本屋を営む大家族の堀田家を描くアットホームストーリー。
主人の勘一を筆頭に、
息子でミュージシャンの我南人、
孫の青、紺、藍子、
ひ孫の研人と花陽らが、
古本を通じて様々な出来事に出会っていく。
語り手は、
すでに死去した勘一の妻であるサチ。
孫らの事が気になって成仏出来ずに、
堀田家にいすわる。
人気シリーズの第一作。


実にアットホームである。
死んだおばあちゃんの優しい口調で語られているからだろうか!?
舞台は下町の古本屋が舞台。
現代が舞台ではあるが、
懐かしい雰囲気が漂う。
ワイワイガヤガヤの堀田家を中心に、
女好きな住職や奥手のイギリス人など、
脇を固める人達も個性的で面白い。
いつのまにか贔屓の登場人物が出来る事だろう。


基本的にほのぼのとしたトーンで書かれているのだが、
小説らしく事件が起こり、
謎解きをする流れはある。
いきなり家族みんな探偵の様になってしまうのは、
やや苦笑いをしてしまうのだが、
そんなにしつこくはないので、
笑って許せると思う。
ちなみにほのぼのとは言ったが、
随所に複雑な家庭環境が取り上げられている。
シングルマザーであったり、
不景気な世の中が生んだ社会の歪みであったり…。
現代人にとっては、
誰もが何かしら身に覚えがある内容かもしれない。
そんな重い話題を軽い家族が向かい合っているというのが、
この小説の最大の魅力なのかもしれない。


それから、
多少は鼻に付くは人それぞれとして、
本の主題は家族愛に尽きると思う。
彼らが生きる日常は、
親子4代がひとつ屋根の下に暮らす、
今の時代は少なくなった、
あるべき日本の姿だ。
僕自身も大家族に、
幼少期から憧れがあった。
少なくとも寂しくなれば帰る事の出来る、
大きくて温かい家族がある人が羨ましい。
将来そんな家族が営めればとも思う。
小説では、
そういった大家族の優しさと、
そこから離れた人間の寂しさが同居する。
物語の終盤、
勘一の息子である不貞のミュージシャン我南人がある人に語るシーンがある。

「LOVEをさぁ。一生に一度で、最初で最後で構わないからねぇ。君の青への、実の息子へのLOVEを見せてもらおうと思ってねぇ。(以下ネタばれにつき略)」

夫して息子を捨てた妻に対して向けた言葉である。
大家族の結束も良いが、
上手く付き合えなかったからこそ、
強い想いとなる家族愛にグッときた。 
Category * BOOK
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Mon
2012.04.09
17:09
 
DSC_1030.jpg


都内では、
例年より少し遅く桜が見頃を迎えている。
昨年は震災の影響があり、
お花見が自粛ムードだった。
そんな反動からか、
なんとく今年は例年より賑わっている様に映る。
考えてみたら、
お花見を自粛するという選択自体からして、
なんとも日本人らしい。
大変に律儀であるし、
感傷的な国民感情かと。
しかし、
震災から1年が過ぎ、
花見を待ちわびた列島の姿を見ると、
やはり僕ら日本人は桜がお花見が好きなんなだなと思わずにはいられないのである。


日本人と桜と結びつける文献は少なくない。
桜はパッと咲きパッと散るという、
諸行無常の感性だったりが起因しているというのが一般的であろう。
それもそれで納得なのであるが、
では個人単位で桜に対しての儚さを感じているかと言えば、
別にそうとも限らないのではと意地悪に考えてしまう。
僕自身、
桜が咲けば気分が高揚するのは確かだ。
どこか桜の名所に繰り出して、
昼間からビールを飲みながらなんてマジ最高。
しかし申し訳ないけれど、
そこに儚さとかいう感傷は滅多に出てこない。
去年を除き。


ではビールがあればどんな花でもマジ最高かと問われたら、
そうでもないのだから不思議である。
日本人である僕の中のどこかに、
桜に対する特異な感情があるのは確かなのだが、
明確にそれを説明する事は出来ない。
よくは分からないのだが、
桜でしか感じる事が出来ない何かがある。


今年は中目黒から目黒川を散策してみた。
歩くのにも大変な混みようである。
土地柄なのか、
ビールよりスパークリングワインを飲んでいる人が多い。
頭にネクタイを締めた人より、
洒落た外人さんが騒いでいたりする。
行き交う人も売り子も中目黒感たっぷり。
ちなみに写真も中目黒感を重要視した。(川を写しただけという噂もあるけれど…。)
でも中目黒感たっぷりで、
飲むお酒や集う人種は違えども、
桜だけはしっかりと桜であった。
眺めると自然に和んでしまう。
そんな風に歩きながら和みながら、
なんで桜だけがこんなに僕らの心の琴線に触れるのかと、
先ほどの様にツラツラと思索していたのだ。
変な奴でしょう!?


でもって変人は思う。
もしかしたら、
本当は桜自身には特定の意味なんてないのではないか。
震災でツラかった去年も、
それが少しだけ癒えて穏やかな気持ちの今年も、
桜は僕ら日本人の気持ちを代弁しているかの様に咲き誇っている。
どんな気持ちにもスッと染まれる唯一の花だからこそ、
愛され続けているのかな。
まぁ桜に類まれなるポリバレント資質がある所以は、
やっぱり定かでない。
それこそ日本人のDNAに何かしら深く関係しているのかもしれないなどと、
結局は適当な話になってくるのである。
ともあれ、
今年の桜はとっても良い感じだった。
願わくば来年も再来年もこの先ずっと、
穏やかで幸せな気持ちで、
豪快に咲く桜の花を眺めていたいのだ。
もう自粛ムードは勘弁。
美味い酒と気の合う仲間を囲んで、
春だねと陽気に騒ぐ方が桜も嬉しいと思うから。 
Category * 小話
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Thu
2012.04.05
18:57
 


まず本来は、
いつもの通りあらすじを書くつもりなのだが、
これがなかなか難儀である。
以下は自分なりの解釈である故、
誤読もあるかもしれない。
どうかご勘弁。

「わたしの仕事は、こうして着想をつかまえる事だ。」
偶然にも機内で隣り合わせた、
A.A.エイブラムスという男。
彼は蝶の様に舞う着想を、
銀糸で編まれた虫取り編みで捕まえるという、
奇怪な事を言う。
わたしは、
飛行機の中では本は読めないモノという悩みを吐露する。
エイブラムスは、
話を聞かせてろと、
わたしの頭に網を重ねる。
そんな話を元にして生まれたアイデアで、
飛行機の中で読みに限るという本が生まれ大ヒット…云々。
と、
そんな奇妙な物語は、
実はすべて「猫の下で読むに限る」の全訳であった。
著者は、
謎の多言語作家・友幸友幸。
さてはて友幸友幸とは一体!?
物語は複数のわたし、
謎の友幸友幸、
A.A.エイブラムスを通じて、
複雑に交差する。
果たしてストリートの終着点はどこに!?
複雑なストーリーで物議を醸した話題作。
第146回芥川賞受賞作。


最初に白状してしまうと、
半分も理解していないと思う。
複雑すぎる。
そもそもストーリーには、
誰がいつどこで何をしてという、
当たり前の基準がないのだ。
自分は事前の情報がなく読み始めたので、
かなり戸惑った。
思いっきり帯を締め直して読ませていただいた。
よくも悪くも、
こんな妙な小説は稀である。


繰り返しになるが、
本作では誰がいつどこで何をしているのかが、
まるで迷宮の様に入り乱れている。
だが苦労しながら読むうちに、
この実体が掴めないストーリーラインこそ、
物語の実体である事を理解した。
僕は思う。
ストーリーを理解する必要なんてないのだと。
いやいや分かるぜといった読者がいるのなら、
それはその人が嘘をついているか、
あるいは僕に読解力が足りないか、
きっとどちらかだ。


そうは言っても、
これで終わらしてしまうには、
自分のプライドが邪魔する。
もう少しだけ、
自分がどう読んだかを書き残したい。
さて、
一応話の中心には、
他言語作家の友幸友幸である様だ。
彼は世界各国を旅して、
様々な刺繍を習得し、
同時に現地の言葉で小説を書いている。
正体も不明だし何が書かれているかも不明。
要は全てが謎の作家である。
そんな謎多き作家には、
作家を調査する謎の組織がいる。
友幸友幸の不思議な旅と、
彼を調べる人気達の不思議な話。
…たぶん、
そんな話だ。
それだけで何も分かるはずもない。
だがしかし、
ある意味救いと言うべきか、
この小説には、
ひとつのキーワードがある。
それは着想だ。


小説の中のアイデアは、
ヒラヒラと蝶の様に舞うらしい。
もし物語に不変な事象があるとすれば、
たぶんこの蝶だけだと思う。
エージェント達は、
リアルでも友幸友幸の話の中でも、
着想の蝶を追う。
友幸友幸自身も、
自分の刺繍した網が、
着想という名の蝶を捕まえるのだと悟る。
蝶だけが小説の中をひらひらと舞うから、
その他の風景が変化して歪んで見えるのだ。
いつもどこも誰とかも関係ない。
小説の中で、
発想と着想との間で蝶が舞っているだけ。
だからストーリーを理解しようとしては駄目なのかもしれない。


小説の発想はどこにあって、
着想はどこに止まるのか…。
よく分からないけど、
読み手は、
蝶と一緒に浮遊体験が出来るだろう。
全体を通して流れる世界観は、
詞的でもあり極めて無機質な様にも感じた。
友幸友幸がモロッコで老婆に刺繍を習う話があるのだが、
そこでのやり取りは、
意味も分からぬのが純粋に美しい。
どんなに前衛的とは言え、
この美しさがなければ、
賞の受賞はなかっただろう。
たぶん、
凄く美しい本なのだろうな。
では誰かにこの小説を薦めるか!?
答えは、
ノーである。
やはり難解すぎるから。 
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