サッカー(ヴェルディ)以外の日常を綴ります。
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Sun
2012.09.09
20:41
 
うさぎパン


お嬢様中学校から公立の高校へと通う事となった優子。
義理の母親と暮らすごく普通の高校生だ。
新しい友人や初めての彼氏、
家庭教師の美和ちゃんなどなど。
ほんわか癒し系の登場人物が多数登場する優しい系小説。
穏やかな日常と予期せぬ出来事が絶妙に絡まり、
ひとりの女の子の成長が姿は毒気なし。
うさぎパンというタイトル通りの可愛らしい作品だ。
第2回ダ・ヴィンチ文学賞大賞受賞作。


なぜゆえに僕がこんな作品を!?
そんなの自分だって分からない。
たまたま手に取っただけ。
うさぎパンというタイトルが気になったからかもしれない。
主人公の優子は、
本当にごく一般的な女の子だ。
幼い頃に母親を亡くし、
今は義理の母と暮らしている。
しかしその義理の母との関係も良好で、
とくにそれがストレスにはなっていない。
高校での新生活に対し、
友達が出来るか不安になるのも何だか凄くベタ。
中学ではお嬢様校として名高い女子中へと通っていたからか、
いきなりの男の子ありの環境になれず成績を落としてしまう。
すかさず家庭教師を雇うのだが、
そこで出会ったのが美和ちゃんだ。
この家庭教師の美和ちゃんが良きお姉さん役となり、
優子が大人へと成長していくのである。


恋の話は、
本当に中学生とか高校生に読んでもらいたい(笑)。
僕にはピュアすぎて敵わない。
だって恋のキッカケは、
お互いにパンが好きだからだよ!!
お酒が好きで馬が合うというのはあっても、
パンが好きだったとか…ありえねえ!!!
ちなみに富田君はパン職人の息子だ。
面白くて素直で良い奴。
絶対モテるタイプ。
モテるタイプを好きになる清楚な女の子の構図って、
コンプレックス高校生だった僕には食あたりしそうだった。
それでもこういうのも悪くない。
こっそり少女漫画を読んでいる感覚なのかもしれない。
汚れた大人もたまには綺麗な話を読んでみたいのだ。
非難される筋合いはない。


でも綺麗な話だけでは、
さすがに評価は出来なかった。
及第点にした理由は、
物語中盤で起こるある出来事。
突飛な発想から、
思いがけない登場人物が出てくる。
その人間が現れたことで、
物語に深みと不思議な空間を作りだした。
そのキーとなるのが家庭教師の美和ちゃん。
彼女はある意味では初恋の富田君以上に優子に影響を与えたと思う。
ちなみに何故ゆえに影響を与えたか、
思いがけない登場人物は誰かは実際に読んで欲しい。


思春期の時期というのは、
自分でも気づかない所にちょっとした傷を作っている場合がある。
悩んで頑張って大切な時間を費やす過程でそれに気づいて成長していく。
誰しもそんなモノだ。
そういった中で、
将来の事や恋愛も学んでいく。
忘れかけてたよそんな事。
中学生を思い出した。
僕のアイドルは元気かのぉ。 
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Fri
2012.08.17
16:34
 
サッカー審判員 フェルティヒの嘆き


ドイツ文学界をリードするトーマス・ブルスィヒによるサッカー小説。
ブンデスリーグで主審を務める主人公。
審判には、
ピッチ上のみで与えられる限定的な神の特権がある。
マスメディアや世論、
そしてサポーターによって失われた大切なモノとは。
1人の審判を通して語られる不条理なルールとは。
かのドイツ首相メルケル氏も話題にしたベストセラー。


まず単なるサッカー小説と思って読み始めると驚くかもしれない。
著者自らの言葉をなぞると、
サッカーは表現のための小道具であってテーマでない。
サッカーを通じて社会的テーマへの関心を巧みに喚起しているのが特徴だ。
ときおり難解な文章もあるし、
サッカーの興奮が詰まった内容でないのは事前に理解しても良いかと思う。
本書ではサッカーの審判というピッチ上の神の裏にある、
審判ならではのリスクを示す事で、
社会的責任は何かを問う。
サッカーの審判ほどに“間違い”に対してのリスクを伴う職業はないように思う。
例えば医師の様に一歩間違えば死に直結してしまう間違いよりも、
メディアや世論はサッカー審判の過ちを、
さも重罪の様に扱うのである。
サッカーというある意味どうでもいい事に関しての責任と、
人の心臓を止める選択権を持つ医師の責任。
2つに間にあるナンセンスな責任と保証をシニカルな笑いを交えて糾弾する過程は読みごたえ十分だ。


それとは別に現代サッカーを審判の視点から考察する記述は、
サッカーファンとしては興味深くもあった。
いくつかを抜粋したので一緒に考えたい。


サッカー審判は誰でも、
一本の「線」でもって試合を導いていかなくちゃならない。
そしてこの線を、
立会い人にも示す事ができなくちゃならない。
一番悪いのは、
この線を見出せないことだ。



審判はある一定に基準を設けるべきだと説いている。
試合を裁く上で、
ここから先がファールなんだよと選手に示す事が重要という訳だ。
そういった基準を選手が理解することで円滑な試合進行が出来ると主張している。
これは確かに有能な審判に程明確な場合が多く。
国際大会の審判ともなると、
その基準は見ている僕らにでも分かる。
逆に未熟な審判は基準が曖昧でアンフェアな印象を選手に与えている。
それが選手の不信を買い、
結果的に試合が荒れることもしばしばだ。
公平に試合を裁くのには基準が必要なのだ。


あのベルギーの連中以来、
ルールが試合をコントロールすることはなくなってしまったんだ。
あのベルギー・チーム以来、
ルールは試合に引きずり込まれ、
解釈し直され、
利用され尽くした。
サッカーでは、
ルールを「プレー」するようになったのだ。
(中略)
一方のプレーヤーが相手に反則を犯させようとして、
他方がそれを防ごうとすると、
それは「演出」の問題になる。
そうなると、
スポーツの問題が、
演劇の問題になってくるわけだ。
そして「いや、やっていない!」という芝居だ。
(中略)
そろっと触れられただけでも、
まるでこっぴどく殴りつけられて、
暴行を受けたかのように、
もんどりうって地面に倒れる。
一方で、
相手チームの選手を蹴飛ばしてプレーできなくしても、
知らんぷりをする。
こっちの選手が大げさに作り話をすれば、
あっちの選手は事実を隠し、
「そんなことしてない」という。



僕はこの言葉以上にサッカーの本質を捉えた表現を読んだ事がなかった。
まさに現代サッカーはルールをプレーしている。
ベルギーの連中についてだが、
彼らはオフサイドトラップという作戦を最初に行ったチームの事だ。
本来ならばオフサイドとは、
FWが相手ゴール前に張り付いて離れないという事態を防ぐルールである。
しかしながらオフサイドトラップは、
そんなルールを逆手にとって相手選手を欺くことてフリーキックを得る作戦だ。
つまりルールを利用して自分らが有利になるようにしていると言える。


ルールはルールであるので、
その延長線上で絶対的に試合は推移する。
だからこそサッカーのルールを熟知した上で、
それを如何なく利用しているのだ。
ファールをもらう動きはその際たるもので、
ファールを貰うためにファールを演出しているは、
見ようによっては滑稽にも写るであろう。
そうなるとそれはもはや本来のスポーツの体を失っている様に思えてくる。
実際に本書の中でも、
サッカーはスポーツとしての基準を失ったとも書かれているのだ。
しかしそういった選手がルールを利用して欺く行為、
あるいは基準を設けた上で神として試合を裁く主審が時折みせる非常に人間的な間違い。
そういった部分を含めて僕らはサッカーを理解している。
サッカーの持つ不確実性が試合に皮肉にも面白さを加えているからだ。
本書は単にスポーツとしてだけではない、
サッカーの多角的な魅力を考察できる貴重な1冊でもある。 
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Tue
2012.08.07
14:48
 
Rのつく月には気をつけよう


長江高明と熊井なぎさ、
そして湯浅夏海は大学時代からの飲み仲間だ。
就職先もバラバラ。
それでも全員が東京在住とあって、
卒業後もことある事に宴会を開いている。
最近はいつも同じメンバーでは脳がないので、
誰かが友達をゲストとして呼んでくるのが習わしだ。
そして毎回ゲストの話から、
頭脳明晰な長江によって、
様々な事態を巻き起こす。
毎度毎度、
出てくるお酒と肴が楽しい、
食にまつわる7つの短編集。


いやはや、
予想外に楽しめた作品。
基本的には推理小説なのだが、
それだけの枠組みでは収まらない。
コンセプトは“お酒”。
7編の物語には、
ワインやビール、
泡盛や日本酒、
バーボンなどなど…。
多種多様なお酒が登場する。
そのそれぞれのお酒に合う肴も相まって、
実に面白い雰囲気を醸し出す。
例えばビールの回。
飲み仲間3人は、
それぞれが考える最高のビールに合う食べ物を議論する。
唯一の男性である長江はギョウザ。
博多で仕事に行った際に出会った鉄鍋ギョウザが忘れられないそうだ。
再び訪れた際に潰れてしまった泣いたいうのだから笑ってしまう。
僕個人がお酒好きという事もあるのだろうが、
そういったお酒に関するエピソードにはつくづく納得させられるというか、
とっても共感できるのである。
結局ビールに関しては、
ゲストの意向によりある「とんでもないモノ」を肴に飲み会が行われる。
もちろんそんな食べ方はした事がないのだが、
個人的に試したくなってしまった。


その他にも、
泡盛に豚の角煮。
銀杏に日本酒など。
これでもかというくらい酒と食が登場する。
そしてそんな3人+1人の飲み会は、
毎回恋愛エピソードがエッセンスとして加わる。
ゲストのちょっとした悩みを推理人である長江が読み解くパターンだ。
別れた恋人が直前に作った固い豚の角煮。
生牡蠣に当たってそれを克服する女性の真実。
ありきたりではないけれど、
とてつもなくありえない話でもない。
そう。
ちょうどお酒の席に丁度いい話ばかりだ。
多くは語り手の心にある小さな感情。
本人さえも気づかない事も多い。
それを推理人の長江が真相に迫る。
お酒を飲みつつ解決に導く姿は、
よくある推理小説のような深刻さはない。
いってみればゆるい。
そんな雰囲気を、
お酒がいい感じで作り上げているのだろう。


もうひとつ。
学生時代からの付き合いなのに、
当の3人には恋愛感情が見られない。
単純に良き飲み仲間だ。
良い年した男女が、
ただの飲み仲間としてだけの関係を続けられるのだろか。
それぞれに隠された恋愛感情はないのか。
個人的には、
お酒を美味しく飲める人間ほど居心地の良い異性はいないと思っている。
酒好きの僕が言うのだから間違いない。
僕なら杯を交わすうちに、
きっと恋愛感情に繋がってしまうだろう。
だからこそ違和感があるのだ。
この男女3人の不思議な関係が、
ラストどういう結末を迎えるのか。
それを読み解くのも楽しい。



 
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Tue
2012.07.31
17:19
 
船を編む

玄武書房の社運をかけた新しい辞書『大渡海』は編集作業の最中。
莫大な時間と金がかかる一大事業は、
思うような成果が得られていない。
嘱託の荒木は辞書作りの才能がある若手社員を探していた。
そんな中で白羽の矢が立ったのは、
営業部では変人として扱われていた馬締光也。
個性的な面々の中で辞書の世界に埋没していく馬締。
度重なる困難の中、
果たして『大渡海』は完成するのか。
日本語の奥深さを教えてくれる三浦しをんの小説。
2012年本屋大賞受賞作。


少し前に話題となった作品をようやく読了。
人気作家である三浦しをんらしい読みやすい作品だ。
馬締の下宿先でのほんわかした描写は、
著者の良さが出ているように思う。
主人公の馬締光也は、
文字に対する執念以外は、
何をしても冴えない優男。
髪はボサボサだしいい歳こいて童貞だし。
周りの評価はズバリ変人だ。
しかし文字に対する着眼点は秀逸。
それで周りが見えなくなってしまうだけで、
本当は半野良猫トラさんと、
怪しいインスタント「ヌッポロ一番」を愛するピュアな青年である。
そんな主人公を取り巻く登場人物も個性的だ。
頑固だけど辞書に対する情熱は人一番の荒木。
地味な辞書編集部では異質のチャラさを誇る西岡。
物静かな佐々木さん。
そして辞書の監修者である松本先生。
とりまく仲間はそれぞれ文字を愛し、
そして各々が悩みを抱えながらも本気で辞書の完成の望むメンバーだ。
個人的にはチャラい荒木の存在がお気に入り。
見た目はモサいけれどえも才能豊かな馬締の存在に、
羨望と嫉妬を織り交ぜた感情を抱いている。
普段は明るく人一番気の効く男。
そんな人間の奥に隠された小さな棘が、
実に人間臭く共感を覚える。
西岡が吐露したこんな一文を紹介しよう。

馬締や荒木や松本先生のようなひよは、
西岡のまわりにはこれまでいなかった。
学生時代の友人たちは、
なにかにのめりこむのを、
むしろ敬遠する傾向があった。
西岡も、
がっつく姿勢を見せるのは恰好悪いと思っている。
(中略)
なぜそこまで打ち込めるのか、
謎としか言えない。
見苦しいとさえ思うときがある。
だけどももし仮に、
まじめにとっての辞書にあたるようなものがあったら。
西岡はつい、
そう夢想してしまうのだった。
きっと、
今とはまったく異なる形の世界が目に映るのだろう。
胸苦しいほどの輝きを帯びた世界が。


これ何だか分かるなと思った。
確かに全力で脇目も振らず頑張る姿が、
なんだか青春臭くて恰好悪く思うときはある。
でも実は、
そうやって頑張る人達の事を心のどこかで羨ましがっている。
誰しもが思う節のある事であろう。
だからこそ共感できるかもしれない。


共感出来るといえば、
ストーリーの後半から出てくる岸辺という辞書編集部に異動になった岸辺という若いOL。
「きみは一人で先に進められる人だよ。」と、
男に捨てられたちょっと寂しい今時のOLである。
雑誌の花形部署で仕事をこなし、
周りの評価をある程度得てそれなりにプライドを持つ。
彼女は限られた空間の中で、
ひとつの存在感を持ち生きている。
そういった空気感が男に一人で先を進められると言わせたのだろう。
しかし彼女とて一旦枠から離れてしまうと、
普通の女性。
男に一人で大丈夫だなんて言われる筋合いはないのだ。
慣れない辞書編集部に来て、
岸辺は自らの無知や未熟さを知る。
しかしその一方で、
自分の本当の長所が何かも気づくのである。
慣れて居心地の良い枠から抜け出して、
社会人として女性として成長していく姿は、
個人的に意味深く読ませていただいた。
僕らぐらいの世代の人間にとっては、
思うことがあるのである。



馬締のキャラは一見ダメ男に見えた、
才能豊かなモテキャラ設定という感じか。
実に主人公らしい人間である。
下宿先で知り合った大家のタケおばあさんの孫・香具矢との恋愛話は、
おいおいそんなベタなという展開だ。
正直浅い感じに思えたし、
必要なのかも疑問であった。
個人的にはもっと文字に対する丁寧な描写が欲しかった。
この話の背景は書かれてはいないが字引離れへの危惧の気持ちがあるのだと思う。
様々なツールで文字は知れべられるし活用できる。
電子辞書はもちろんパソコンやスマートフォンなどの台頭により、
アナログの字引より便利に検索できるようになった。
ともすれば字引は時代遅れの不要の産物となりかねない。
僕の様な旧世代の人間にとっては、
これはとても寂しい事である。
字引は現代では不便かもしれないが、
書物として色々な魅力ある。
手で触る質感の他にも連動したストーリー性も楽しい。
本作でも少しだけ触れられているが、
対義語を比較なんかするだけでも、
とても興味深いのが字引の特長と言えよう。
時代に取り残される中、
あえてアナログの辞書制作に挑む人々の物語な故に、
ベタな恋愛事情は失くしてでも、
もっと辞書に対する著者の情熱を注ぎ込んで欲しかった。
まあ読みやすいし全体を通して言えば飽きのこない秀作なのであるが。 
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Fri
2012.07.27
15:23
 
ひまわり事件


郊外の住宅街。
隣接する有料老人ホーム「ひまわり苑」と「ひまわり幼稚園」。
両方とも県会議員の理事長兼、
建設会社社長の磯貝がオーナーだ。
ベタな一族経営の2つの施設の垣根が、
ある日トップ独断で撤廃される。
選挙目当てのパフォーマンで
無理やりに進められた「ひまわり苑・園の一体化」。
その事が偶然にも、
老人・誠次と幼稚園児を結びつけた。
互いに互いの存在を疎み戸惑いながらも、
不思議な時間を共有する。
そしてついにある事件が起こる。
世の中の矛盾に対し、
ただ静観するのではなくどう向き合って行くべきかを、
コミカルに問題提起した人気作。


老人と園児。
その組み合わせは、
多くの人が想像する通りキュンとする。
妻に先立たれ独り余生を「ひまわり苑」で過ごす誠次。
苑には不満もあるが残り少ない人生、
出来るだけ荒波を立てないとうに生けれればと、
なかば諦めていた。
そんな中、
突如実施された苑・園の一体化。
平穏を壊したのは理事長の選挙対策のパフォーマンスだった。
今では園児と老人が敷地内を自由に行き来する。
それを疎ましく思っていた誠次だったが、
落ちこぼれ幼稚園児・晴也と出会った事で状況が変化した。
誠次と晴也は互いに距離を持ちながらも、
ひまわり栽培を通して徐々に親密になっていく。
父を失い祖父母との関係も稀薄な晴也。
小児肥満の秀平。
小ギャル幼稚園児の伊梨亜(いりあ)。
携帯ゲームばかりをやっている和樹。
個性豊かな現代っ子の彼らは、
まるで大人たちのミニチュアの様。
不器用ながらも家庭や幼稚園に不満がある。
それは誠次がホームに抱く不満と根本では同じ様なモノではなかったのだろうか。


小説の後半は、
園児と老人のほのぼのとた触れれあいから一転、
ホーム経営者の不正を摘発する元過激派の老人の事件へと発展する。
組織の暗部に対し徹底抗戦をする男。
それは園児達にとっても誠次にとっても異質な存在であった。
常軌を逸した行動は危険を孕んではいたのだが、
同時に自らの意見を発し続ける姿に、
各々が各々なりの思いを深めていく。
僕は学生運動とは縁の無い世代であるが故、
うはり過激派の老人が叫ぶシュプレヒコールには違和感があった。
それでも現状に甘んじて、
本来是正すべき事をも包み込むように避けてしまう現代の姿勢に対し、
少なからず物足りなさを感じてしまった。
余生を静かに過ごすだけだったはずの誠次にも、
まだ世の中のほとんどを知らない園児達にも、
やはり訴えるべき事はある。
つまるところ自分の意見は、
しっかりと伝えようぜ。
そういう風に言っている様に感じた。


物語は長編小説らしくボリューミー。
荻原浩らしくユーモアでウエットに富んだ文章は十分に楽しめるはずだ。
園児達は自らの過去を思い起こし、
誠次達老人は、
これからの人生を予見させる。
いずれも世代は違えど自らに投影させつつ読んでいた。
思えばそういった別世代の人間と付き合う事も少ない世の中。
彼らが何を思い何に生きているかなんて知る由もない訳である。
しかし考えてみたら当然で、
彼らは彼らなりの生活を営み、
彼らなりの思いの中に生きている。
少子高齢化が叫ばれる世の中で、
世代間の交わりは極めて稀薄だ。
小説では本当の意味でそういった垣根を越えた姿が描かれている。
もちろん急には世代の垣根なんて越えられない。
自分の意見をぶつける環境なんてないかもしれない。
それでも忘れてはいけない大切な事。
老人や子供達の訴えが、
僕の心に深く刻まれた。
この小説は意見を持たない僕らへの警鐘に違いない。 
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