サッカー(ヴェルディ)以外の日常を綴ります。
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Wed
2012.11.21
13:06
 

アシックス


つくばマラソンを直前にして風邪を引いた。
今日は1日仕事を休ませて頂き安静にしている。
こういう事に慣れていないせいか、
寝るにも限界がきてしまい、
昏々と忘れかけのブログを書いている。


努力は人を裏切らない。
そんなありきたりの言葉がある。
僕は間違っていると思う。
ランニングを始めて1年半。
自分で言うのは格好悪いが、
それなりにコツコツと頑張った。
先週からは風邪など引かぬようにと、
うがい手洗い食生活に至るまで、
神経質なくらいに気をつけた。
結果この仕打ち。
万全で挑むはずが、
出鼻を挫かれてしまった。
変わって東京ヴェルディ。
今年はクラブも選手も、
何より僕自身が頑張った。
松本にも行ったし、
岡山にも駆けつけた。
毎週違う県のお土産を会社に振る舞い、
大いに呆れさせた。
挙句の果ては、
ここ最近では最悪の7位。
もちろん昇格は遠い向こうへと霧散した。
努力は人を裏切らない。
そんな言葉、
僕は信じない。


では努力とは何なのであろう。
僕は努力が報われなかった時にこそ思うのである。
今回の風邪も、
病院の待合室でウンウンと唸りながら、
何故ゆえに今なのか?
これだけ頑張ってきた日々は何だったのか?
そう自問した。
しかしそんな恨み言を吐いても、
医者はクスリともせず、
お前は風邪なんだよと事実のみを知らせるばかりだった。
僕の努力って何だったのさ?


僕は、
努力とは純然たる事実だと思っている。
努力は、
結果に報いるスイッチとは限らない。
しかし、
結果を報いるために動き続けた証ではあると思うのだ。
熱にうなされながら天井を見上げ、
雪降る夜に走った時、
真夏の炎天下を駆け出した時を考えてみた。
こういった日々は、
僕も報いを授ける事はなかったかもしれない。
しかし、
努力した日々は、
僕に報いでなく救いを残してくれた。
僕がつくばマラソンに向けて走った3,000㎞あまりの距離は、
どんな重症な風邪でも覆せない事実だ。
そんな日々を振り返ると、
悔しさの先に見つける事が出来るのだ。

まあまあ頑張ったじゃん。
走る続けて良かったな。

そんな気持ちが。
もし努力もせずに直前で風邪を引いていたら、
こんな風に思う事も出来ず、
ただただ自分を情けなく思っただろう。
どんな結果だろうが、
僕は努力に救われていると気づく。


ちなみに風邪は何とかなりそうである。
まだまだ予断を許さないが。
まぁ走れるにせよ走らないにせよ、
努力した日々を大切にしようと思う。
あれ?
こんな風に思えるという事は、
やっぱり努力は僕を裏切ってはいないのかな?
分からなくなった。
どうやらまだ少し熱っぽいようだ。
つくばマラソンまであと4日。
僕はもう少しだけ努力しないといけなそうだ。 
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Sun
2012.09.09
21:19
 
DSC_0481.jpg


エイブとKとは高校生時代からの飲み仲間。
ひどいもんだ。
僕等に同窓会という意識は皆無。
月1ぐらいで飲んでいた時期もあったし、
今でも疎遠になる事はない。
昔話とかよりも現在進行形の話題が多い。
純粋なる飲み仲間と言えよう。
それでも哀しいかな30歳を過ぎて、
各々の環境も徐々に変化してきた。
Kはもう2人の子どもを持つパパだ。
エイブは…なんか色々変わった。
転職もたくさんしたし。
性格は相変わらずテンパっているけど(笑)。
僕が一番変化ないように思うけれど、
それは自分からなので2人から見たら少しは変わっているのかもしれない。


そんな訳で昔みたいに朝まで飲み明かす事もなくなった。
Kはお小遣い制になった。
怪しいフィリピンパブに行く事もなくなったし、
桜上水の放置自転車を根こそぎ倒す事もなくなった。
つまりはただ飲むだけで落ち着いてしまったのだ。
このマンネリ化を打開する作戦。
それが今回の旅行だった。
男3人の河口湖旅行。
物凄く気持ちが悪い。
黒髪の乙女はいないのか!
今でも腹立たしい訳で。。。


結果、
朝7時から飲み続けた。
ビールは何杯飲んだのだろう。
もうそういう計算は後悔するからやめておく。
とにかく暇さえあれば飲んでいた。
仕方がいないよね。
もともと飲み仲間なんだし。
言っておくが、
飲む以外にも色々と遊んだ。
飲んだだけではない。
断じて。
ソーセージも作った。
カヌーにも乗った。
ソーセージは指導してくれた女の子ばっかり気になっていたし、
カヌー体験はエイブがエイブで転覆した。
私服のまま河口湖に放りだされるという惨事は忘れられない。


あとは…基本的に飲んでいた。
結局は僕等なんてそんなレベル。
これからも変わらないだろう。
僕以外は痛風でビールは飲めないけど、
やっぱり飲み会は今後も開かれるはず。
実は部活も一緒でなかったので、
現役時代はそんなに接点のない3人だけれども、
不思議と会い続けている。
気持ち悪いほどに仲が良い。
kは悪酔いして肩パンするし、
エイブは大概意味分からないけど、
きっと僕は彼らが好きなんだと思う。
単純に居心地が良いんだろうな。
こういう仲間は大切にしたい。
できれば河口湖には落ちたくないけど。 
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Sun
2012.09.09
20:41
 
うさぎパン


お嬢様中学校から公立の高校へと通う事となった優子。
義理の母親と暮らすごく普通の高校生だ。
新しい友人や初めての彼氏、
家庭教師の美和ちゃんなどなど。
ほんわか癒し系の登場人物が多数登場する優しい系小説。
穏やかな日常と予期せぬ出来事が絶妙に絡まり、
ひとりの女の子の成長が姿は毒気なし。
うさぎパンというタイトル通りの可愛らしい作品だ。
第2回ダ・ヴィンチ文学賞大賞受賞作。


なぜゆえに僕がこんな作品を!?
そんなの自分だって分からない。
たまたま手に取っただけ。
うさぎパンというタイトルが気になったからかもしれない。
主人公の優子は、
本当にごく一般的な女の子だ。
幼い頃に母親を亡くし、
今は義理の母と暮らしている。
しかしその義理の母との関係も良好で、
とくにそれがストレスにはなっていない。
高校での新生活に対し、
友達が出来るか不安になるのも何だか凄くベタ。
中学ではお嬢様校として名高い女子中へと通っていたからか、
いきなりの男の子ありの環境になれず成績を落としてしまう。
すかさず家庭教師を雇うのだが、
そこで出会ったのが美和ちゃんだ。
この家庭教師の美和ちゃんが良きお姉さん役となり、
優子が大人へと成長していくのである。


恋の話は、
本当に中学生とか高校生に読んでもらいたい(笑)。
僕にはピュアすぎて敵わない。
だって恋のキッカケは、
お互いにパンが好きだからだよ!!
お酒が好きで馬が合うというのはあっても、
パンが好きだったとか…ありえねえ!!!
ちなみに富田君はパン職人の息子だ。
面白くて素直で良い奴。
絶対モテるタイプ。
モテるタイプを好きになる清楚な女の子の構図って、
コンプレックス高校生だった僕には食あたりしそうだった。
それでもこういうのも悪くない。
こっそり少女漫画を読んでいる感覚なのかもしれない。
汚れた大人もたまには綺麗な話を読んでみたいのだ。
非難される筋合いはない。


でも綺麗な話だけでは、
さすがに評価は出来なかった。
及第点にした理由は、
物語中盤で起こるある出来事。
突飛な発想から、
思いがけない登場人物が出てくる。
その人間が現れたことで、
物語に深みと不思議な空間を作りだした。
そのキーとなるのが家庭教師の美和ちゃん。
彼女はある意味では初恋の富田君以上に優子に影響を与えたと思う。
ちなみに何故ゆえに影響を与えたか、
思いがけない登場人物は誰かは実際に読んで欲しい。


思春期の時期というのは、
自分でも気づかない所にちょっとした傷を作っている場合がある。
悩んで頑張って大切な時間を費やす過程でそれに気づいて成長していく。
誰しもそんなモノだ。
そういった中で、
将来の事や恋愛も学んでいく。
忘れかけてたよそんな事。
中学生を思い出した。
僕のアイドルは元気かのぉ。 
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Fri
2012.08.17
16:34
 
サッカー審判員 フェルティヒの嘆き


ドイツ文学界をリードするトーマス・ブルスィヒによるサッカー小説。
ブンデスリーグで主審を務める主人公。
審判には、
ピッチ上のみで与えられる限定的な神の特権がある。
マスメディアや世論、
そしてサポーターによって失われた大切なモノとは。
1人の審判を通して語られる不条理なルールとは。
かのドイツ首相メルケル氏も話題にしたベストセラー。


まず単なるサッカー小説と思って読み始めると驚くかもしれない。
著者自らの言葉をなぞると、
サッカーは表現のための小道具であってテーマでない。
サッカーを通じて社会的テーマへの関心を巧みに喚起しているのが特徴だ。
ときおり難解な文章もあるし、
サッカーの興奮が詰まった内容でないのは事前に理解しても良いかと思う。
本書ではサッカーの審判というピッチ上の神の裏にある、
審判ならではのリスクを示す事で、
社会的責任は何かを問う。
サッカーの審判ほどに“間違い”に対してのリスクを伴う職業はないように思う。
例えば医師の様に一歩間違えば死に直結してしまう間違いよりも、
メディアや世論はサッカー審判の過ちを、
さも重罪の様に扱うのである。
サッカーというある意味どうでもいい事に関しての責任と、
人の心臓を止める選択権を持つ医師の責任。
2つに間にあるナンセンスな責任と保証をシニカルな笑いを交えて糾弾する過程は読みごたえ十分だ。


それとは別に現代サッカーを審判の視点から考察する記述は、
サッカーファンとしては興味深くもあった。
いくつかを抜粋したので一緒に考えたい。


サッカー審判は誰でも、
一本の「線」でもって試合を導いていかなくちゃならない。
そしてこの線を、
立会い人にも示す事ができなくちゃならない。
一番悪いのは、
この線を見出せないことだ。



審判はある一定に基準を設けるべきだと説いている。
試合を裁く上で、
ここから先がファールなんだよと選手に示す事が重要という訳だ。
そういった基準を選手が理解することで円滑な試合進行が出来ると主張している。
これは確かに有能な審判に程明確な場合が多く。
国際大会の審判ともなると、
その基準は見ている僕らにでも分かる。
逆に未熟な審判は基準が曖昧でアンフェアな印象を選手に与えている。
それが選手の不信を買い、
結果的に試合が荒れることもしばしばだ。
公平に試合を裁くのには基準が必要なのだ。


あのベルギーの連中以来、
ルールが試合をコントロールすることはなくなってしまったんだ。
あのベルギー・チーム以来、
ルールは試合に引きずり込まれ、
解釈し直され、
利用され尽くした。
サッカーでは、
ルールを「プレー」するようになったのだ。
(中略)
一方のプレーヤーが相手に反則を犯させようとして、
他方がそれを防ごうとすると、
それは「演出」の問題になる。
そうなると、
スポーツの問題が、
演劇の問題になってくるわけだ。
そして「いや、やっていない!」という芝居だ。
(中略)
そろっと触れられただけでも、
まるでこっぴどく殴りつけられて、
暴行を受けたかのように、
もんどりうって地面に倒れる。
一方で、
相手チームの選手を蹴飛ばしてプレーできなくしても、
知らんぷりをする。
こっちの選手が大げさに作り話をすれば、
あっちの選手は事実を隠し、
「そんなことしてない」という。



僕はこの言葉以上にサッカーの本質を捉えた表現を読んだ事がなかった。
まさに現代サッカーはルールをプレーしている。
ベルギーの連中についてだが、
彼らはオフサイドトラップという作戦を最初に行ったチームの事だ。
本来ならばオフサイドとは、
FWが相手ゴール前に張り付いて離れないという事態を防ぐルールである。
しかしながらオフサイドトラップは、
そんなルールを逆手にとって相手選手を欺くことてフリーキックを得る作戦だ。
つまりルールを利用して自分らが有利になるようにしていると言える。


ルールはルールであるので、
その延長線上で絶対的に試合は推移する。
だからこそサッカーのルールを熟知した上で、
それを如何なく利用しているのだ。
ファールをもらう動きはその際たるもので、
ファールを貰うためにファールを演出しているは、
見ようによっては滑稽にも写るであろう。
そうなるとそれはもはや本来のスポーツの体を失っている様に思えてくる。
実際に本書の中でも、
サッカーはスポーツとしての基準を失ったとも書かれているのだ。
しかしそういった選手がルールを利用して欺く行為、
あるいは基準を設けた上で神として試合を裁く主審が時折みせる非常に人間的な間違い。
そういった部分を含めて僕らはサッカーを理解している。
サッカーの持つ不確実性が試合に皮肉にも面白さを加えているからだ。
本書は単にスポーツとしてだけではない、
サッカーの多角的な魅力を考察できる貴重な1冊でもある。 
Category * BOOK
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Tue
2012.08.07
14:48
 
Rのつく月には気をつけよう


長江高明と熊井なぎさ、
そして湯浅夏海は大学時代からの飲み仲間だ。
就職先もバラバラ。
それでも全員が東京在住とあって、
卒業後もことある事に宴会を開いている。
最近はいつも同じメンバーでは脳がないので、
誰かが友達をゲストとして呼んでくるのが習わしだ。
そして毎回ゲストの話から、
頭脳明晰な長江によって、
様々な事態を巻き起こす。
毎度毎度、
出てくるお酒と肴が楽しい、
食にまつわる7つの短編集。


いやはや、
予想外に楽しめた作品。
基本的には推理小説なのだが、
それだけの枠組みでは収まらない。
コンセプトは“お酒”。
7編の物語には、
ワインやビール、
泡盛や日本酒、
バーボンなどなど…。
多種多様なお酒が登場する。
そのそれぞれのお酒に合う肴も相まって、
実に面白い雰囲気を醸し出す。
例えばビールの回。
飲み仲間3人は、
それぞれが考える最高のビールに合う食べ物を議論する。
唯一の男性である長江はギョウザ。
博多で仕事に行った際に出会った鉄鍋ギョウザが忘れられないそうだ。
再び訪れた際に潰れてしまった泣いたいうのだから笑ってしまう。
僕個人がお酒好きという事もあるのだろうが、
そういったお酒に関するエピソードにはつくづく納得させられるというか、
とっても共感できるのである。
結局ビールに関しては、
ゲストの意向によりある「とんでもないモノ」を肴に飲み会が行われる。
もちろんそんな食べ方はした事がないのだが、
個人的に試したくなってしまった。


その他にも、
泡盛に豚の角煮。
銀杏に日本酒など。
これでもかというくらい酒と食が登場する。
そしてそんな3人+1人の飲み会は、
毎回恋愛エピソードがエッセンスとして加わる。
ゲストのちょっとした悩みを推理人である長江が読み解くパターンだ。
別れた恋人が直前に作った固い豚の角煮。
生牡蠣に当たってそれを克服する女性の真実。
ありきたりではないけれど、
とてつもなくありえない話でもない。
そう。
ちょうどお酒の席に丁度いい話ばかりだ。
多くは語り手の心にある小さな感情。
本人さえも気づかない事も多い。
それを推理人の長江が真相に迫る。
お酒を飲みつつ解決に導く姿は、
よくある推理小説のような深刻さはない。
いってみればゆるい。
そんな雰囲気を、
お酒がいい感じで作り上げているのだろう。


もうひとつ。
学生時代からの付き合いなのに、
当の3人には恋愛感情が見られない。
単純に良き飲み仲間だ。
良い年した男女が、
ただの飲み仲間としてだけの関係を続けられるのだろか。
それぞれに隠された恋愛感情はないのか。
個人的には、
お酒を美味しく飲める人間ほど居心地の良い異性はいないと思っている。
酒好きの僕が言うのだから間違いない。
僕なら杯を交わすうちに、
きっと恋愛感情に繋がってしまうだろう。
だからこそ違和感があるのだ。
この男女3人の不思議な関係が、
ラストどういう結末を迎えるのか。
それを読み解くのも楽しい。



 
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